02 東京から篠山へ。飛び込んだまちづくり事業 (一社)ノオト代表理事 伊藤 清花

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「なつかしくて あたらしい 日本の暮らしをつくる」との考えを基に、兵庫県丹波篠山市を拠点にまちづくりを続けるNOTE(ノオト)。活動開始から10年が経ち、この考えに共感して全国各地で歴史資源を生かしたまちづくりが広がってきました。携わる仲間は、IT畑出身者や元公務員、元金融マン、元ホテルマンなど多様な人生経験を積んだユニークな面々。どんな経験からこの活動に共感し、それぞれの街で根を張ってまちづくりをしているのか。

ブログリレー第2回目となる今回は(一社)ノオトの伊藤清花・代表理事にノオトに入った経緯や想いを語ってもらいました。

【プロフィール】
一般社団法人ノオト代表理事 伊藤 清花
1985年生まれ
大阪府豊中市出身
2013年に(一社)ノオトに参画、2019年10月代表理事就任

 

■東日本大震災がきっかけ。地方に目が行くように。

 

―ノオトに携わるきっかけは?

大学卒業後、IT企業に就職して、生まれ育った大阪から東京に移りました。入社して3年目、24歳のとき、東日本大震災が起きたことが、地域に目を向けるきっかけになりました。
東京は交通インフラや流通網などの都市機能が麻痺して、ものが手に入りにくい状態が1カ月くらい続いた。社会の仕組みを知るには東京に行かないと、という思いで東京で就職したけれど、地方に生かされているのが東京なんだと気付きました。

この頃から、大量生産・大量消費を支援するマーケティングの仕事だけが、本当にみんなを幸せにするんだろうかと疑問に思い始めました。東京にいることで、逆に見えなくなっているものがあるのではないか。そんな気持ちが次第に大きくなっていきました。
この頃から古民家カフェを巡るようになったり、地方での面白い求人を紹介する求人サイト「東京仕事百貨(現、日本仕事百貨」をよく見るようになったりして、古民家や限界集落の再生の仕事に興味を持ち始めました。それで2013年、当時勤めていた会社を辞めることにしました。

当時の役員に「お前のやりたいことは、うちではできんのか。何がやりたいんや」と聞かれたので「限界集落や古民家の再生がやりたい」と言ったら「それは確かにうちの会社ではできんな」と言われました(笑)。そしたら役員から「それやったら藤原(株NOTE社長・藤原岳史)に話を聞け」と言われた。会社の先輩だった藤原さんは知っていたけれど、4年前に会社をやめた後に何をしているのかは知らなかったし、当時は篠山のこともまったく知らなかった。

 

■「同じ思いの人がいる」。まちづくりの先駆者たちを前に号泣

 

―そこから篠山と繋がるんですね

東京で藤原さんに会って、篠山で取り組んでいる古民家活用の話を聞いて、めっちゃ面白そうだと思った。そういうことがしたい!と言ったら、藤原さんから「本物を見に行け」と言われて、徳島県神山町の大南信也さんや香川県高松市の岡昇平さん、岡山県西粟倉村の牧大介さんなど30代~50代まで幅広い年代の5人を紹介してくれて、全員に会いに行きました。

印象的だったのは、どの大人もまちの未来を楽しそうに語って、実行している。なんかこうニヤニヤ楽しそうに(笑)。50代を含めて、それぞれの土地ごとの正解を探して、いきいきと実践している先駆者が既にいることに驚きました。そして5人全員の前で号泣してしまいました。自分は何もできていない情けなさ。自分の思いと近い思いを持っている人がいることの安心感や嬉しさが混ざったような感情でした。一人じゃないと思えた。
それまで、こんなにいきいきと、しかもまちの未来のことを語って、実践している人に会ったことがなかったけれど、こういう働き方がしたいな、絶対こっちだなと思った。

神山で笑顔の一枚。(左から)プラットイーズの隅田徹さん、NPO法人グリーンバレーの大南信也さん、伊藤

■「社会の仕組みを変えよう」。楽しそうに考える人に衝撃

 

―突然新しい領域に飛び込んだんですね

でもこの時点で自分に何ができるか分からず、能力的にも役に立つものが思い浮かばなかった。それで藤原さんに「何でもしますので、潜り込ませてください」と言って、(一社)ノオトがその時受けていた文化庁による創造都市ネットワークの事務局の仕事をもらいました。

この時、ノオトは建築基準法や旅館業法の規制緩和に取り組んでいた。だけど、ノオトの代表(当時)の金野さんの言っていることの2割くらいしか理解できなくて、日本語を話しているのに、何言っているか分からない。それがめちゃくちゃ面白かった。面白そうに、楽しそうに社会の仕組みを変えていこうと考える人がいるんだなというのが衝撃で、金野さんと藤原さんと一緒に仕事をしたい、というのが最初だった。
一方で、この2人と仕事をするには、しんどいことも負けずに食らい付いていくしかない。自分で盗んで、学んでいくしかない。そのためには、何でもやろうと腹をくくりました。実際、私個人にもノオトにもお金はなかった(笑)。崖っぷちで食らい付くしかない。そんな覚悟で飛び込みました。

 

―人生を懸けた闘いの始まりですね。なかなかできることではないです

ノオトの仕事を始めて半年は東京でリモートワークをしていた。2013年に兵庫県朝来市に古民家ホテル「EN(エン)」が開業して、最初の掃除に行った。こんな素敵なものが出来上がっていくんだと目の当たりにした。でもまだこの時はビジネススキームも理解できていなくて、近くにいないと分からないなと思って2014年4月、27歳の時に同棲を始めたばかりの彼氏を置き去りにして、東京から篠山に引っ越してきました。

篠山に来てから、だんだん全容が分かってきた。金野さんも藤原さんも他の仕事をしながら古民家活用については無報酬でやっていて、さらに頭がおかしいと思い始めた(笑)。2014年秋には星野さん(株NOTE副社長・星野新治)が篠山に来て、篠山城下町のプランニングをやることになり、中心メンバーが揃いました。

当時、なんだか案件はたくさんあるけれど、誰がプロジェクトを回しているのか分からない。それで4人で合宿して案件を洗い出したら30件くらいあった。「これ、どうやってやるんですか?」って聞いたら、金野さんは「どうするんだろうねー。でもどうにかするんだろうね。はっはっはっ」って。やっぱり頭おかしい。でも面白いなって(笑)
金野さんは「こうありたいよね」っていうビジョンを創る人。それは価値観に加えて、それを実現するための法律や社会の制度、仕組みも含めて変えていこうというムーブメントをつくろうとしていた。藤原さんは、この歴史資源を活用したまちづくりをどう事業化して広げていけるかを担っていて、この2人の絶妙なバランスこそがノオトらしさとずっと思っていた。

 

■「祭りに行けない」。泣く岸和田の友人に驚愕。でもすごく羨ましかった

 

―そもそもなぜ古民家や地域に興味を持ったのですか?

私は、大阪の千里ニュータウンで生まれ育った。伝統がない地域だからか、日本の伝統や地域のしがらみと言われるようなちょっと鬱陶しいほどの地域の中のコミュニケーションに憧れる気持ちが元々あった。中学卒業後、バスケットボールが強い高校に行くために家を出て、寮生活を始めたので、ほかの地域の子と一緒に育った。すると大阪の岸和田の子が、祭りの時に「帰りたい」と泣いている。びっくりして理由を聞いたら、岸和田の民は祭りのために生きていると。そんな強い思いで繋がっている地域コミュニティーがあって、帰る田舎があることが凄く羨ましかった。そんな憧れがベースにあった。

会社員時代に、山口県萩市出身の同期の実家を訪ねる機会があって、山口空港に降り立ったときに、小さなローカルの空港に親が迎えに来てくれる風景にグッとくるものがあった。小さいころ、母の実家の鹿児島のじいちゃんが、鹿児島の空港に迎えに来てくれた、あの懐かしい感じを思い出した。この温度感がいいなと思っていて、古民家にはそんな雰囲気があるなと感じていた。

古民家に惹かれた理由はもう一つある。藤原さんと金野さんが言っていたことは、古民家は負の遺産ではなく、地域の資源なんだということ。いいものがあるから、それを使う。価値をちゃんと表現して、それをビジネスとして組み立てる。発想の転換で、地域の課題を解決していくという考え方がいいなということも、古民家がなんとなくいいなと思っていた気持ちと結びついたところはあると思う。

 

■中心のない、それぞれが自律して相互に高め合うチームづくりへ

 

―活動が全国に広がっている。今後、目指す方向は?

2019年にノオト創設者の前代表の金野さんから、代表を引き継いだ。正直、何をすべきなのか悩んだし、今も模索を続けています。前代表の金野さんは、ゼロから1を作るビジョンを描く人。金野さんが描いたビジョンが今は各地に広がっている段階なのかと思います。そのなかで、私は組織づくりに取り組みたいと思っています。各地の取り組みで得た知見やアイデア、失敗例も含めて情報を共有すれば、もっと物事が解決するという課題認識があります。

私は大学の時、オープンソースの方式によるソフトウェアの開発に関心を持っていました。ソースコード(プログラムのコード)をネット上に無償で公開し、世界中の開発者が自由に改変してソフトウェアの開発するやり方です。1990年代、パソコンのOS「Linux(リナックス)」がこの方式で、開発されたことがよく知られています。ネット上で、不特定多数の有志によって自発的なプログラムの改良が繰り返されたことで、驚異的な速さで質の高い開発が進みました。
私は、このオープンソースの現象から、「情報を独占せずに共有することで、自由に参加できる共同体(チーム)ができ、協働作業が進む。そうすることでより良いものが生まれていくんじゃないか」と感じ、卒業論文のテーマにもしました。これは今も常に持っている課題意識です。

本部がないと上手く回らないのではなく、中心がなく、一つ一つが自律性と主体性を持っていて、相互に高め合うというチームづくりを目指したいと思っています。ローカルとローカルがお互いにリンクし合えば面白くなると思っていて、それを促進していきたいと考えています。

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第3回目は(一社)ノオトの理事でもあり、徳島県神山町で自身の事業も手掛ける隅田 徹(すみた てつ)さんに続きます。

井垣 和子

兵庫県姫路市で生まれ育つ。同県の地方紙である神戸新聞社に入社し、地方支社総局や経済部などで街ダネから農林水産業、地域経済などを取材。2013年に篠山支局に配属となる。篠山で古民家の活用を展開していたノオトを継続的に取材したことをきっかけに、2018年に同新聞社から一般社団法人ノオトに出向。同県福崎町でエリアマネージャーを務め、取材する側からまちづくりをする当事者の立場となる。