(前編はこちら)
篠山市丸山集落では2009年の一棟貸し宿「集落丸山」の開業以来、丸山らしい風景や生活文化を特に大切にしている。ガードレールや街灯は設けず、携帯電話の基地局の設置は断った。だから村では電波はほとんどつながらない。快適さや便利さとは少し距離を置くことになったけれど、農村ならではの心地よさがここにはある。
この土地の土や木、茅を使った家。その目の前で育つ米や野菜。ご近所とのつながり。そんな豊かな暮らしが、宿がシンボルの役割を果たして発信されるようになると、耕作放棄地を一手に預かっていた元自治会長の佐古田直實さんのところに「ここで農業がしたい」という都市部の人が、次々と現れるようになった。
篠山から車で1時間ほどの西宮市から月に数回、丸山集落に通い野菜作りを始めた女性がいる。そしてさらに友人知人も協力して酒米を作るようになり、今では少量ながらも日本酒を醸造して販売するまでになっている。
その女性は、神戸で飲食店を営む川浪典子さん。川浪さんは、丸山集落にあるそば懐石「ろあん松田」に年1回通っていた縁から、佐古田さんと出会い、2010年から友人らと野菜作りを始めるようになった。「寛大に受け入れてくれ、とても嬉しかった。そんな人の魅力に惹かれました」。通い続ける理由は村の人との繋がりがあるからこそだという。
川浪さんは、人口減で将来に不安を感じていた村の人と接するうち「村の寄り合いで、みんなで造ったお酒があれば、笑顔が広がるんじゃないか」と日本酒造りを思い立った。村ではちょうど2年ほど前に、酒米「五百万石」の栽培をやめたばかり。まだ栽培ノウハウを知る人もいたことから、2014年に耕作放棄地を活用して栽培を再開した。
農薬を使わず育てるため、除草はすべて手作業。普段の水の管理などは佐古田さんが担い、手刈りでの収穫にこぎ着けた。京都府伊根町の向井酒造に依頼して2015年、日本酒「まるの輪」を醸造・販売した。以来、毎年続けている。川浪さんは「作業は大変だけど、完成の喜びはその分とても大きい。これからもできる限り続けたいです」と充実感をにじませる。
丸山の農地は全部で5ヘクタールほど。山あいの傾斜地は、どちらかと言えば条件不利地で大規模化が難しく、村の人は農地の維持に頭を悩ませていた。そういった農地に魅力を感じて集まったのは、前述の川浪さんら都市部の人だけではなかった。農薬を使わない専業農家にとっても、丸山の農地は魅力的に写るという。丸山で農地を借りた篠山市の専業農家は「周囲に農薬を使う農家がいないので、育てている作物にかかる心配がなく安心」と、過疎地ならではの良さがあると話す。
これらの耕作放棄地は、丸山から都市部に移り住んだ人たちの農地で、佐古田さんが所有者から一手に管理を任されていた。佐古田さんは預かっていた農地を、農業をしたいという人たちに無償で貸し出した。そうするうち神戸や阪神地域、大阪などから農業をしに来る人が増え、今では約10グループになり、耕作放棄地だった2.1ヘクタールすべてが活用されるようになった。
山にも助っ人が訪れている。高齢者が多い村では、間伐は重労働でとてもできないのが実情。そこへ2011年から日本森林ボランティア協会(大阪市北区)が月1回、定期的に間伐に訪れるようになっている。村にさまざまな人たちが出入りするようになったことで、宿に改修した民家以外の空き家にも、ニーズが生まれ始めた。現在はシェアハウスなどへの活用に向け、3棟の改修が進んでいる。
空き家、耕作放棄地、手入れされなくなった山。経済発展の陰で人が離れていき、村の人が「負の遺産」とまで感じたこれらの資源に今、再び人の手が入るようになった。
手作りの道具を使っての除草作業。泥に足を取られながらの作業は、片道だけで根を上げそうに。でもこの光景はほのぼの。
「村に鯉のぼりを上げるのはいつぶりやろ」と佐古田直實さん。宿の開業以来、丸山集落では村の人が「何十年ぶりだろう」とつぶやくようなことが次々と起こっている
「郷土愛に再び目覚めさせてもらえました」。佐古田さんは宿開業に始まる一連の取り組みを通して「集落外の人から村の良さを逆に教えてもらった」と、そう感慨深げに話す。
最近、村の山で、絶滅危惧種のオオムラサキのさなぎやササユリの群生地が見つかったという。「そういうところにも目が向くようになったんです」と佐古田さんは顔をほころばせる。「村全体をね、エコミュージアムにしたいんです。そんな新しい夢ができました」。
村に眠っていた宝物が、多くの人の手で磨かれ、次々と輝きを取り戻している-。
2009年に開業した一棟貸し宿「集落丸山」のうちの一棟
宿に隣接して立つ里山フレンチレストラン「ひわの蔵」
URL http://maruyama-v.jp
所在地 〒669-2361 兵庫県篠山市丸山30番地
TEL 0120-210-289
井垣 和子
兵庫県姫路市で生まれ育つ。同県の地方紙である神戸新聞社に入社し、地方支社総局や経済部などで街ダネから農林水産業、地域経済などを取材。2013年に篠山支局に配属となる。篠山で古民家の活用を展開していたノオトを継続的に取材したことをきっかけに、2018年に同新聞社から一般社団法人ノオトに出向。同県福崎町でエリアマネージャーを務め、取材する側からまちづくりをする当事者の立場となる。