瀬戸内のほぼ中央に位置する鞆は、瀬戸内海を流れる潮流の分かれ目に位置したことから「潮待ちの港」として多くの船の寄港地となり、往時の海運を支える重要な港として栄えました。江戸時代の港湾で必須とされた「常夜灯」、「雁木(がんぎ)」、「波止(はと)」、「焚場(たでば)」、「船番所」という5つの施設が現在でもほぼ完全な状態で残っているのは全国でも鞆だけだと言われています。
※鞆の浦で知られている地域ですが、鞆という名称の町です。
「NIPPONIA 鞆 港町」プロジェクトでは、各地から人・もの・文化が集まって形作られた鞆独自の風土を訪れる人に伝え、鞆のこれからの「暮らしの時」を地域と共に作り上げていくことを目指します。第1期事業では、このプロジェクトの拠点となる町中の3棟の古民家をフロント棟と客室として再生しました。
数十年前まで、鞆は八百屋や本屋、銭湯など生活に必要な店舗が町中に全て揃っている賑わいのある町でした。けれど今ではそうした機能が少しずつ失われ、町の活気がなくなりつつあります。
NIPPONIA 鞆 港町プロジェクトでは鞆で営まれてきた生活や生業に焦点を当て、鞆が持っている歴史・文化的資源を基盤として未来に向けたこれからの「鞆の暮らし」を地域と共につくっていきます。
NIPPONIA 鞆 港町
施設の詳細は上記webサイトからご覧いただけます。ご予約も同サイトより行えます。
施設での朝食は鞆の町中にある飲食店と連携し、鞆らしさを楽しめるお食事を提供します。また、漁師体験や練り物作りなど滞在中の体験プログラムも構築中です。
施設内アメニティやリネンには地元企業の製品や伝統産業を取り入れるなど、滞在中に土地の文化を感じられる工夫をちりばめています。
鞆 肥後屋
かつて鞆銀座と呼ばれたメインストリートに位置する江戸時代から続くとされる商家で、元々は保命酒*屋でしたが、その後、鯛味噌や佃煮の商いも行っていました。
2004年頃に空き家となったものの2018年から新たに店舗名を「鞆 肥後屋」と改め、鯛味噌屋として運営を再開、2021年4月からは「NIPPONIA 鞆 港町」のフロント棟として再スタートしました。 *保命酒(ほうめいしゅ):伝統的に造られている薬味酒。
※鯛味噌はフロントスペースにて引き続き販売予定です。
第78代内閣総理大臣・宮澤喜一氏が別荘として使っていた築80年の古民家を2室の客室として再生しました。客室には帆船の帆を畳むために使われていた道具や、版木を利用したアートが飾られています。
棟の名前は建物のある地区の名前「江の浦」を由来としています。
平安時代に弘法大師が開いたとされる鞆の浦で2番目に古いお寺、医王寺へ向かう参道の途中にあるのが「MOTOMACHI」棟です。山の中腹に位置するためテラスからの眺めは抜群。特に朝の時間帯がおすすめです。
棟の名前は建物のある地区の名前「元町」を由来としています。
元々は商家だった「SEKI」棟は通りに向かってガラス戸が立ち、町の様子が良く見える造りになっています。
フロント機能の他に2階には2室の客室が備わっており、町歩きには最適の立地。海もすぐそこです。