さて、記念すべきブログ第1回目では、「10周年を迎えて思うこと」について書いていこうと思います。
株式会社NOTEの前身である一般社団法人ノオトが古民家を活用したまちづくり事業に着手したのは2009年のことです。
当時は歴史的建築物を活用した事業の前例がほとんどなく、まさに「未知の世界の最前線」でした。その後の6年間にわたる試行錯誤と模索を経て誕生したのが「NIPPONIA」です。
2015年10月3日、丹波篠山にNIPPONIAの第1号が開業しました。これは大きな挑戦への第一歩であり、乗り越えなければならないハードルは決して低いものではありません。まずクリアすべき主要なハードルは次の2つでした。
当時は、まちづくり・古民家活用事業は「ボランティアベースで事業収益性が低い」という社会的なイメージが非常に強く、「古民家再生・空き家活用=儲からない・ボランティア活動」という従来のイメージを覆す必要がありました。
・資金調達の困難さ
古民家1棟の改修には数千万円の費用が必要であり、当時は実績やノウハウが不足していたため、金融機関からの融資だけで全額を賄うことは困難でした。そのため、補助金への依存、あるいは個人保証や法人保証といった特定の存在に頼る偏ったリスクの上で事業を進めるしかなかった。
・金融機関の評価軸
古い建物は減価償却が進んでいるという日本特有の不動産査定・鑑定により、担保価値がないと見なされた。
篠山城下町ホテルNIPPONIAのプロジェクトは、こうした状況に対し、現実的な事業計画を組み立てることで、地方銀行やファンドから事業性があると判断してもらうことに成功し、民間からの資金調達(ファンドと融資)で事業をほぼ実現させたという点で、古民家活用事業における大きな転機(エポックメイキング)となりました。
しかしながら、まちづくり事業にとって資金調達は不可欠であるものの、集められればどんなお金でも良いというわけではありません。特に昨今、古民家や歴史的建築物を買い漁るような手法で参入するファンド会社も見受けられます。私たちは、こうした動きがもたらす地域の文化や歴史の喪失、その行く末を深く案じています。
~~裏話~~
まだ「ノオト」しかなかった頃の話(2009年〜2014年)
遡ること、NIPPONIAの事業が始まるさらに前。
当時はまだ一般社団法人ノオトという組織だけで活動していました。
その頃、私はまだ無報酬の理事として参画していたのですが、ある時、会社である案件が原因で財務状況が悪化し、銀行から融資を受ける必要が出てきました。
その時、当時の代表から「これに実印を押しといて」と渡された書類を見て…正直、ギョッとしました(笑)。
それが、「個人保証」の書類だったんです。
もちろん、驚きはしましたが、同時にすごく現実を突きつけられたような気がしました。
「金融機関から見た、私たちの事業に対する評価は、こんなにも低いのか!」
個人保証というものは、単に「会社と個人の問題」で終わる話ではありません。その本質的な課題は、
1.金融機関からの「事業としての信用」がない以上、結局は個人の信用力(保証枠)でしか事業を進められない
2.もしくは、常に補助金に100%頼る不安定な事業形態から抜け出せない
ということでした。
これは、私たちが目指す「持続可能なまちづくり」とは真逆の姿。最大の課題は「お金の借り方」ではなく、「信用力」なんだ、と痛いほど理解したんです。
そこからは、課題解決への道筋を探るべく、文字通り必死の模索が始まりました。
いろんな知人や、経験豊富な経営者の方々に頭を下げて教えを乞う毎日。
Amazonで金融やファイナンスに関する専門書を無作為に検索し、読み漁る日々が続きました。
どうすれば、地域に根差したこの事業を、「個人の信用」ではなく「事業の信用」で動かせるようになるのか。
この経験と、そこから得た知識が、後の株式会社NOTEの設立、そしてNIPPONIAの事業設計に、深く関わってくることになります。
「古民家再生事業をプロジェクト・ファイナンスで実現する」第一歩となったのです。
~~~~
閑話休題。
篠山でのNIPPONIA事業の核となる「町中に客室棟を散りばめて、地域に暮らすように泊まる」分散型ホテルという構想は、当時の旅館業法においては客室棟すべてに玄関帳場(フロント)の設置義務があったため、そのままでは実現が非常に困難でした。
この規制を乗り越えるため、当時は国の「国家戦略特区」制度を活用し、フロント機能を1棟(ONAE棟)に集約する許可を得るという、前例のない挑戦が必要でした。
現行法の改正には、大きな矛盾を感じる部分が多くあります。法律を改正するには、その必要性を示す具体的な実例が不可欠です。しかし、その実例を創出しようと試みると、現行法における法律に抵触する恐れがあるため、事を簡単には進められません。まさに「卵が先か、鶏が先か」というジレンマに陥ってしまうのです。
資金調達の側面においても同様です。法律でまだ明確に定められていない新しい事業に対して、金融機関等に対しその蓋然性(実現可能性)を具体的に示す必要が出てくるのです。
当時の「未知の世界の最前線」とは、古い建物が持つ地域固有の「暮らし文化」という価値を信じ、それを実現するための資金調達と法規制の壁に真っ向から挑み、一つ一つ突破していく必要があった時期だったと言えます。
NIPPONIA10周年を迎えて思うこと(後編)につづく……。
藤原 岳史